本日も順調に誤作動中

ASD.1980年生まれ東京都在住。

自分の中に立ち現れるニヒリズムへ

自分の中に立ち現れるニヒリズム

「この世なんて所詮、無価値だ」と思うことで、一時の安心を得ていた頃がある。引きこもっていた頃のことだ。
この世の全てを無価値という名のレッテルを張って、とりあえず安心したいと思ったのである。
人間は、よく分からない未知のものと出会うと不安になるので、とりあえずのレッテルを張ることで一時の安心感を得ようとする。それは人間の本性である。大量の情報を正確に理解しようとすることができるほど、人間の情報処理能力は高くはない。だから、適当なレッテル張りをすることで、それ以上その対象について考えないで済ませる。
しかし、そのレッテル張りも一時凌ぎのものである以上、そのレッテルが正しいものなのかどうかは検証する必要がある。にもかかわらず、多くは検証もしようともしない。なぜなら、一度自分で張ったレッテルを張り直すことは、自分の間違いを認めることであるからである。また、レッテルが間違ったと分かったら、今度は別のレッテルを張り直さねばならなくなる。それはとても面倒なことだ。だから、人は一度張ったレッテルが正しいかを検証することは少ない。さらに、そのレッテルを盲信し、自分のレッテルは正しいのだという思い込みを強化させる。そしてその思い込みの正しさを補強する証拠や情報ばかりを集め出す。
そして、レッテルへの信奉を深め、エスカレートし、暴走し、揚句の果てに他者を攻撃するようなことになることもある。
このようにレッテル張りを放置しておくことは危険を伴う。
ストンとはまりやすいレッテルほど警戒が必要だ。
例えば、自分の生きづらさをうまく説明するキーワードは、世の中にたくさんあり、それらは、今までの自分の人生をまったく違った角度から語り直させてくれる威力がある。それだけに、出会った本人が「自分はこれだ!」と、ストンとはまりやすい。
そうした言葉には、一定の共通点があって、どれもがみな「あなたは本当は被害者だったのです」という語り口になっている。
生きづらさを抱えているとき、「生きづらいのもそれもそのはずです。なぜならあなたは被害者だったからです」と言われたら、まずは、自分はそうかもしれないと思った人は、自分の過去を振り返る。すると、過去のいろいろな出来事を呼び出し、過去の記憶をつなぎ合わせていく。すると、まるで今までばらばらだったパズルが一つになるかのように、謎が解けたかのような新鮮な感覚を味わう。そして、新しい自分と出会った気分になる。そして、被害者がいる所に加害者がいるわけで、今度は加害者を攻撃対象の目で見るようになる。
「おれはずっと生きづらかった、抑圧されていた。それはあいつのせいだ!」という帰結だ。
被害者意識は、怒りが動機のエネルギー源になっているから、彼らはモチベーションが高く、行動的で、いきいきとしている。だから、ますます「自分=被害者」というレッテル張りは再検証されることなく、どんどんエスカレートしやすい。
特に真面目な人間ほど、まともに言葉を鵜呑みにし、極端に走り出す。
最終的に、周りの人間も、自分も破壊と破滅を味わう。
結局、自分が本当に行き詰らない限り、被害者意識は手放せない。
いや。行き詰ったとしても、この被害者意識は一種のマインドコントロールなので、気づいたとしてもなかなか簡単に抜け出すことはできない。

しぶしぶ、いままでのレッテル信奉を捨て去っても、次に今度はまた別のレッテルはないか探そうとする。
そんなことをすれば、また、自分も他人も破滅するだけだと分かっているのに、最初のレッテルに依存してしまう。人は、一度知ってしまった快楽の味を脳は簡単には忘れてはくれない。
あの、強烈な興奮と刺激を脳は欲してしまう。
だから、一度でもはまるとなかなか抜け出すのは難しい。

人間である以上、レッテルを求めてしまうのは仕方がない。
しかし、レッテル張りをした情報が正しいのか検証を怠ってはならない。
盲信をしているなら、そうしていることを自覚することだ。
多様な価値観に触れ、安易に結論に飛びつかないことだ。

自分はかつて、この世は無価値だという言葉を嘯いていた。
その頃に縋るように読んでいた本がある。
「わが闘争」のように、今は自分から読むのには注意を要するものだ。
当事の私はそれらを信奉していた。
私はそういう過去を否定しない。

ニヒリズムは楽な方法だ。レッテルを張ってすべてを分かったようにふるまえば、

それで十分なのだから。

しかし、それでよいのか。私はよいとは思わない。

 

 

 

まわりまわってまた同じところに戻って来て、「じゃあ初めから辞めなきゃよかったじゃん!」と突っ込まれることについて

父にリーキーガットであることを話した時、「だから卵を大量に食べるなんておかしいと言っただろ」と

言われた。
結果が出るまでに私が知っていたのは、
発達障害は糖質がよくない。
・卵は唯一の完全食と言われ、栄養がある。
・卵はコレステロールが高いので、一日一個を目安にと言われていた。しかしそれは嘘で、卵は一日何個も食
べてよい。
という知識だった。
そのため、卵を毎朝4個、玉子焼きで食べていたのを、以前に家族で食事をしたときに話したことがある。
そして、私はその時、卵を食べていると調子が良いと感じるとさえ言っていた。

しかし、今回の検査の結果で卵の遅発性アレルギー反応はMAXだった。

乳製品はよくないというのは、なんとなく感じていた(というか、牛乳を飲んでも自分の体に効いているという実
感があまり感じられなかった)。卵は意外だった。
こんな風に、自分が良かれと思って食べて来たものが仇(あだ)となることが少なくない。
リーキーガットでなくても、日本人は卵と乳製品に遅発性アレルギーが出やすいとのこと。

それにしても、遅発性アレルギーというのは目に見えないだけに厄介だ。
即発性アレルギーであれば、食べた瞬間に発作が起きてしまうめ、「これが悪さをしている犯人だ」と特定しや
すい。しかし、遅発性アレルギーは、そうはいかない。
食後、数時間後から数日後に、ようやくその反応があらわれる。
しかも、あらわれ方は実にさまざまだ。
便秘、下痢、鼻水、眠気、不眠、倦怠感、うつ症状、疲れやすい、気分が落ち着かないなどなど。
卵を4個食べていた頃は、便秘、下痢や不眠はなかったし、鼻水はもともとだし、疲れは仕事が原因だと思って
いた。

卵を食べる前と後で、何が変わったのかもまだはっきりとわからないけど、精神的な部分、情緒的な部分かもし
れない。

さて、私がリーキーガットの検査を受ける前に卵について持っていた知識は3つだった(数え方にもよるが)。
そして、今回の検査結果で
・私は卵に対して遅発性アレルギーを持っている
という知識である。
その結果、私は卵は食べない方がよいという結論に至り、卵を食べない食生活にシフトすることになった。

この結果だけ見れば、実に元も子もないことだ。

例えば、「卵はよくないらしい」という風のうわさを信じて、卵をほとんど食べない人は結構いると思う。
結果だけを見れば、そういう人と同じ行動を選択しているという点は同じだ。
しかし、私は結果よりもプロセスが大事だと思っている。

父は「やっぱり卵はそんなに食べるなだと言っただろ」と言い、「だからなんでもバランスよく食べりゃいいんだ。
それが一番なんだ。当たり前だろ」ということを言った。
私は、父の言う当たり前の結論に至ったわけであるが、遅きに失したとは思わない。
バランスよく食べるということの意味の解像度が、以前よりもはるかに高まったからだ。
なぜ自分はバランスよく食べなければいけないのかという根拠が、今は明確だ。
何も知らなかった自分は、「なんとなくみんながそう言っているから、バランスよく食べている」
「なんとなくみんながそうしているから、卵は控えている」という表現でしか説明することができなかっただろう。
今は、違う。
人から「最初から卵食べなきゃよかっただけだろ!」と突っ込まれたとしても、「そうだね」と言ってさらっと笑顔で流したい。確かにその通りであるからである。
しかし、自分は知りたかった。
巷では、卵がよくない、卵は一日何個も食べてよい、牛乳は身体にいい、牛乳は身体に悪い・・・
真反対のことが実しやかに言われている。
じゃあ、俺にとって、卵や牛乳はいいの悪いの?もっと言えば、どの食材が自分にはよくて、どの食材がダメなの?ということをはっきりさせたかった。
もう、噂に振り回されて、食べたり、食べなかったりを繰り返して、自分の感覚で、「この食材は身体にいいな、わるいな」といちいち判定するなどやってられないし。
まして、遅発性アレルギーでは、自分の感覚すら頼りにならない。なぜなら、食べてから影響がでるのが数時間から数日後だというのだから。もはや因果関係の特定は自分だけでは不可能だ。
それにしても、そんな検査が存在する事すら自分は知らなかった。
知ることができたのは、一冊の本のおかげである。
吉濱ツトム「隠れアスペルガーという才能」
吉濱さんのセッションを受けるにあたり、リーキーガット検査を受けられるクリニックをご紹介いただいた。

アスペルガーである自分は、知識の収集欲が強い。アスペルガーに興味を持っていた自分がその本を手にしたのは、ある意味必然だったかもしれない。

そして、セッションを通じて、自分は教えることが向いているということが改めて分かった。
今まで、何度も教える仕事に携わってきたが、自分は教える仕事が嫌いだった。
誰に対しても否定的で、
攻撃的だった。教える人間が嫌いだったりもした。だから、教えることが向いている自分を受け入れたくなかったのだ。感情が不安定。若さもあっただろうし、リーキーガットの影響もあったと思う。

しかし、また再び教える仕事の方にシフトしていこうと思う。
やはり、教えることが天職みたいだし。
教える仕事に就こうと思うのは、これで通算6回目かもしれない(数え方にもよるが)。
「じゃあ、最初から教える仕事やっていればよかったじゃん。もったいない」と言われても仕方ないだろう。
でも実際に、僕はそう言われたら、笑って「その通りだね」とさらっと受け応えたい。
最初から、ずっと教える仕事に就き続けていることができたとは思わない。
きっとどこかで生きづらさの問題に直面していただろうと思う。
教える世界という世界以外の世界も知っておきたかった。
これも必然だったのだと思う。
随分遠回りしたように思うが、そうしたことがあって今がある。それが自分だと思う。
その時その時で、一生懸命にやってきたと思う。
一生懸命、俗世間からドロップアウトしたりもしたし、一生懸命社会に適応しようとしたりもした。
健常者は、無駄な努力と評価なんかしてくれないかもしれないけど。
頭も心も身体も狂わせる症状を抱えながらやってきたんだから、よくぞここまで来ることができたと思う。
自分の感覚すらどれを信じてよいのか分からない状態で、まともな選択をすることが困難な状況の中、
よくやってきたと思う。
出口の見えない暗闇の中、わずかな光を頼りに進んできた。
やっと人生のスタートラインに立ちつつある。

見えない障害がつらいのは、自分が何者であるかを語る言葉がないことによって、人と繋がることができないということである。語る言語がないので、つらいということを言語以外のコミュニケーション手段によって伝えることしかできない。それは受け手である相手にとってもつらいし、しんどいのである。

今日は、読書会に参加してきた。
これも発達障害の回復によいとされているので4月から継続している。
発達障害者にとっての読書会の効能に関しては、岩本友規著「発達障害の自分の育て方」に詳しい。

今日は、発達障害関連の本を紹介させていただいた。
澤登雅一著「その『不調』、あなたの好きな食べ物が原因だった?[遅発型フードアレルギー]」

私はこの本の著者澤登先生がやっていらっしゃる3番町ごきげんクリニックに行き、リーキーガット症候群の検査
を受けた。
その結果、自分は典型的なリーキーガットだということが分かった。

そして、リーキーガットと診断されたこと、そして、発達障害の検査「WAIS」を受検し、発達障害の特徴を持ち合
わせているということが分かり、最近ようやく自分が見えない障害の当事者であるということを受け入れ始めた。

2月に自閉症スペクトラムと診断されたときは、問診だけであったし、セカンドオピニオンに診断を仰いだところ、
判断を保留にされていた。そのため、自分が見えない障害者を自称することはなんとなく憚られた。
自分が障害者であると認めるのは、甘えではないかとか。

しかし、リーキーガットがかなり重症であったということが分かったことは自分にとって大きかった。
自分は堂々と長年、見えない障害と戦ってきてきたサバイバーだったのだと。
やはり、自分の生きづらいという勘は正しかったのだということを証明してもらえたようで、ほっとした。
この結果を見て、今までかなり体に負担をかけて来たんだなと言うことが、客観的に見えるようになったというの
がうれしいのだ。
今日の読書会では、本と一緒に自分の検査結果を紹介させていただいた。

見えない障害が見える化された。
それは、自分にとってとても大きい。
ひょっとすると、大学の合格証書よりも嬉しいものかもしれない。
だって、自分の「つらい」は、他人にはわかってもらえないものだと思っていたから。
もちろん、検査結果一枚で自分のつらさをすべて分かってもらえたとは思わない。
しかし、それでもいいのだ。

原因不明の生きづらさ。正体不明の生きづらさ。
精神科医にはきっとこの生きづらさはわかるはずだと、
何人もの精神科医にも見てもらったが、診断名はつけてもらえなかった。
生きづらいと思う自分がおかしいのだ。生きづらいのはみんな同じなんだから、生きづらいなんて思ってはいけな
いと何度も何度も自分のつらさに蓋をしようとしてきた。我慢をしてきた。
しかし、頑張ろうと、人の役に立とうと、社会のためによいことをしようと思うのに、それとは裏腹のことをしてしま
う自分、どうしても長続きしない自分がいた。
だから、自分は悪人なのだと開き直ったこともあった。
引きこもったし、社会に適応できないことに絶望し、自殺未遂もしたこともある。

しかし、岩本友規「発達障害の自分の育て方」を読み、
K先生と出会い、自閉症スペクトラムと診断され、そこから少しずつ変わってきた。
吉濱ツトム著「隠れアスペルガーという才能」を読んで、
吉濱さんのセッションを予約し、三番町ごきげんクリニックでリーキーガットと診断され、運命が変わってきた。

一対一のコミュニケーションや、大勢の人前で教えたり、話をするのが得意な一方で、3人以上での男同士での
雑談がまったく何を話していいのか分からないことの理由が分かってきた。
ひとつのことにとことんのめり込む理由が分かってきた。
口頭で人にものを教えるのが得意な理由が分かってきた。

今まで、ばらばらだった出来事がようやく繋がってきた。
苦手なことを仕事でやる羽目になり、かなりストレスがかかった状態で長らくいたため、
身も心もだいぶボロボロになっていた。

今日のNHKスペシャルでもやっていたように、まずはストレスのあるところから避けること。
これが重要だ。
そのために、支援を求めることも大事だ。

読書会の帰り際、「食事制限頑張ってねー」と励まされた。
その時、「ああ、自分は障害者なんだよなー」と改めて思った。
これまで自分は読書会で、発達障害者だと言ってきた。だけど、発達障害を克服するために
具体的に何をするべきなのか、何に障害があるのかということが自分でも分からなかった。
ただ、漠然とした生きづらさを抱えている人だった。
でも、今はリーキーガット症候群の当事者である。
だから健康な人と比べて、厳しい食事制限しなければならない。

「食事制限頑張って」と言われて、
心から頑張ろうと思った。
ありがとう、頑張るよと素直に思った。

「食事制限頑張って」の一言は、相手が自分の障害のつらさを分かってくれた証だ。
今まで誰にも理解されないし、伝えることができなかった生きづらさの正体を、
言葉で数字で説明することができるようになった。
それが何よりうれしい。

食事制限されることになったとしても、自分の辛さが人に説明できるようになったこと、
自分がどういう障害を持っているのかということを人に説明できるようになった喜びのほうが
はるかに大きい。

自分は、人と違う。
今までずっとそう思ってきた。
けど、何が決定的に違うのか、それが言えなかった。伝えることができなかった。
自分は、普通以上に、言語での説明能力が高く、
人よりも、消化力が劣っていて、フードアレルギーを持っている。

そういうことが分かると、人とつながることができる。自分はこういう人間であるということで、
自分を紹介できる。
これまでは自分が何者であるかを語ることができなかった。
自己紹介をしていても、自分のことを説明しているとは到底実感が持てなかった。
自分は何歳でどこに住んでいて、こういう仕事をしていて・・・という言葉をいくら並べても、自分を理解してもらえ
ていないなと感じていた。

でも、今は自分をかたることができる。
自分はリーキーガットと発達障害でコミュニケーション能力に凸凹があると自己紹介ができる。
自分が何者であるかを語ることができることは、本当に嬉しい。

生まれつき慢性的な見えない障害の当事者は、障害がない者と判断され、健常者と同列に扱われることで、過酷な状況に置かれている。しかし誰もそのことに気づかず、本人は原因不明の生きづらさを背負う。その結果、自暴自棄になったり、他人を攻撃したりすることも起こる。しかし、そうしたことをしても自己責任として健常者と同じ責任を求められる。生まれたときからハンデがあるのに、みんなと「平等」に扱われるという不幸。

確かに、見えない障害は見えない分、他の人には理解されないという大変さがある。
最近、ナルコレプシーという症状を知った。
日中急に眠くなってしまう病気だ。
これも、見えない病気だ。
周りからは「日中寝やがって、あいつは怠けている<`ヘ´>」とレッテルを張られやすい。
だからこそ、自分は障害を持っているんだということを自分自身がよく分かってあげることが大事だ。
他人には理解されないかもしれない。怠けているとか、おかしいとか言われるかもしれない。
だけど、これが見えない障害なんだ。そして、自分はその障害を克服するために、一生懸命努力をしている。
見えない障害に対して、努力をしている。
それは、周りの人から見れば、自分の努力は滑稽に映るかもしれない。
見えない敵と戦っている姿は、傍から見たら滑稽なやつだと思われるのは仕方のないことだ。
でも、中には、見えない敵と必死で戦っている人に想像力を働かせてくれる人もいる。
それはありがたいこと。
また、自分と同じく、見えない敵と戦っている人を自分は大切にしたいと思う。

見えない敵と戦うのに大変なのは、見えない敵について語る言語がないということだ。
ただ、つらい苦しいという表現でしか、まずは語れない。
でも、それだけだったら、他人にはいったい何がつらいのか、何が苦しいのか分からない。
分からないと、何をどう対処していいのかも分からない。
「どうしてほしいんだ?」と言われるけれど、
見えない敵と戦うことを強いられた者は、その問いかけはまるで自分自身が責められているように聞こえる。

親に「どうしてほしいんだ?」と言われたことがある。
今なら、例えばこうしてほしいということができる。「胃腸が弱いから、胃腸によい料理を配慮してくれ。乳製品と卵と牛肉はダメだ。食べる前に胃酸を出すために、パセリを用意してくれ、それからポッカレモン水がほしい。魚に含まれるDHA・EPAが不足しているので、魚が食べたい。」などなど。。
しかし、鍛えていて筋力もある程度しっかりしていて、それなりに元気な自分が、胃腸が弱い(リーキーガット)であり、それが生きづらさの要因の一つとなっているなんてことを、当時の自分が知る由もない。
むしろ、牛肉や卵料理がでたら、親が作ってくれたんだからと美味しくいただくのが常である。

そして、厄介なのは、自分がいくらリーキーガットだと言っても、「食べ物を選り好みするな」とか、そういうことを言いだす人である。そういう人がいることは仕方のないことだ。いちいちがっかりしていてはいられない。例えそういう、無理解に基づいたことをいう人が身内の人間だとしても。

見えない障害というのは、理解されない。しかも、リーキーガットは、生まれてこの方リーキーガットなので、何がどう困難なのかということがいまいち分かっていないので、説明がしづらい。
生まれつき慢性的な見えない障害の当事者は、障害がない者と判断され、健常者と同列に扱われることで、見える障害者以上に過酷な状況に追いやられている。
そのことに気づかず、生きづらさゆえに自暴自棄になったり、他人を攻撃したりするのは不幸だ。
自分が生まれつきの見えない障害者であることを自覚し、その障害を乗り越えるために必要なものは、知だ。
だからこそ、教育は大事だと思う。
自分は生きづらさの闇をずっと徘徊してきたけれど、その闇をかろうじて照らしてきたのは、受けてきた教育だったと思う。
知がなければ、「自分はなんか生きづらいけどこんなもんだろう」とことで諦めてしまったと思う。
親は、自分の見えない障害を見つけてはくれなかったけれど、親は僕に教育の機会を与えてくれた。
それが自分が生き延びる最後の頼みの綱となっていたのは、間違いのないことだ。

だから自分は教育でお返しをしたいと思う。

 

最後にもう一度

生まれつき慢性的な見えない障害の当事者は、障害がない者と判断され、健常者と同列に扱われることで、見える障害者以上に過酷な状況に追いやられている。
そのことに気づかず、生きづらさゆえに自暴自棄になったり、他人を攻撃したりするのは不幸だ。
自分が生まれつきの見えない障害者であることを自覚し、その障害を乗り越えるために必要なものは、知だ。
だからこそ、教育は大事だと思う。

 

道は必ずある

発達障害と生きるということ

とにかく人間関係とかがうまくいかず、生きづらいなと思ってきたのですが、
発達障害というキーワードをいただいて、
生きづらさをクリアするためには何をすればいいのか、
何を避けたらいいのかということが分かってきたことで、
生きづらさは解消されてきます。

まずは「生きづらい」という言葉だけから始まります。
生きづらいということを認めることから始まります。
次にどう生きづらいのかということを具体的にしていきます。

一つ目は、姿勢が長時間保てないという生きづらさに取り組みました。
そこで、ジムに通い、筋トレを行いました。
これである程度姿勢を保つ筋力がついたはずですが、それでもまだ
姿勢を長時間維持することに疲れを感じていました。

そこで、整体に行き、身体の使い方が今まで誤っていたということを教えていただきました。

4スタンス理論の提唱者、廣戸総一氏が経営する廣戸道場で、整体を受けています。

これで体の歪みが疲れやすさの原因であることが分かりました。
自分は、自分が思っているよりも、前傾姿勢でいることが、「よい姿勢」であるということを教えていただきました。

廣戸道場を知ったのは、引きこもり中に長時間テレビを見ていたお陰です。
テレビで4スタンス理論が取り上げられていて、自分の体のタイプが分かり、そのタイプに基づいた体の使い方をしたことで、マラソンの走り方のフォームを変えてみたところ、速くなったということがあったのです。

引きこもり中は、お金がなかったので、書籍で独学していただけでしたが、
独り暮らしをして社会人になって4スタンス理論のことを思い出し、道場に通い始めたのです。

この道場は整体以外にも、体の使い方についての指導もしているとのことなので、
近く、時間を見つけて指導を仰ぎたいなと思っています。

「生きづらさ」の二つ目は、生きづらいのだけれども、それにあてはまる病名や診断がされてこなかったので、
誰にも理解されなかったということです。

自分は何者なのかと言うところで、いろいろと彷徨い歩きました。
けれど、その中に自分はこれだと思えるものと出会うまでには、いろんな困難にぶつかりました。
どれにも当てはまりそうだが、しかしそうだと言える決定的な証拠がなく、ずっと自分がよく分からないままでもやもやうつうつとしていました。
五体満足で生きてきて、生きづらいとか苦しいとか言っているのは、自分が怠けているからではないかとか、
努力不足なだけだ、根性が足りないんだと思って、自分を鼓舞してみたり、
しかしそれも長くは続かず、自分は意志の弱いだめな人間だと自分を責めてみたり。
うまくいかないことを他人のせいにしたり。

他の物を犠牲にして自分はものすごく頑張っているはずなのに、なんで周りのみんなは楽しそうにしかも軽く努力できるんだろう。自分だけなんでなんでと、重く暗く孤独の中を彷徨っていました。

あなたは自閉症スペクトラムです。と診断されたときも、みんなは今までの生きづらさの謎が一気に解けたような気がしたとかいう表現で、自分を取り戻した感覚をもつみたいだけど、自分の場合は、以前に自分がAC(アダルトチルドレン)だと自認した時にその感覚を味わっていて、でも、そこから却って親への恨みが強まったりして、苦しくなったので、正直、発達障害だと知った所で、だからどうしたっていうんだという感じでしかなった。
発達障害だから、何かをすればいい、これをやればよくなるということがいまいち見えなかった。

岩本友規さんの「発達障害の自分の育て方」を読んで読書会に参加してみるものの、最初はこれはいいと思っていたけど、最近は以前ほどの「これだ!」と思う感じがなくなっていた。

そんな中、先日、3番町ごきげんクリニックに行って、リーキーガット検査の結果をいただいた。
結果は、典型的なリーキーガット症候群だった。
診断をいただいたときは、正直、ああそうなんだという感じだった。
どうせ取り組んでも、もううまくいかないよ自分はという諦めの気分が支配的だった。
もう何回も、「もう一回、今度こそ」、そう思ってやってきたけど、またか。また、どうせだめだよと思う自分がいた。
それくらい自分は絶望していた。
もう、結果に感動することができなくなる位、仕事のストレスとかでやられていた。

でも、仲間から連絡が来て、話してみたら、なんか元気が出た。

吉濱ツトムさんのセッションを受けてきた。
そこで見えてきたのは、
自分は、教えることが得意だということ、一対一の会話や、大勢を前に話をすることが得意ということ、
言葉を使った仕事が向いていて、カウンセラーとかコンサルタントとかが向いているということだった。

早速、以前やっていた教える仕事をまた始めようと思う。

そうなんです。道は必ずあるんです。

ノンストップ自意識

私の脳は、いつもなにか支えとなる思想を求めています。
今日はこんな風に考えていました。「要するに工夫しさえすればいいんだ。
たとえ、人と共感する力がなくても、空気を読む力がなくても、工夫しさえすればいいのだ。
発達障害という障害は、人よりもたくさん工夫をしてくださいねと神が与えたものなのだ。
つまり、工夫しさえすれば、どんなことでもできるんだ。できないことがあったとしても、人に嫌われるようなことがあったとしても。
それは自分の工夫が足りなかっただけ。工夫次第でどんなことでもできる。工夫主義思想だ。
私は工夫を信仰しているんだ」

自殺未遂を経て半年後の一人暮らしを始めたときは、「生かされた命なのだから、これからは例えどんなに辛いことがあったとしても、
感謝しよう」と心に決め、おまけに笑顔を振りまいて過ごしていました。

とにかく、そうでもしないとネガティブなことを考えてしまったり、また、寄る辺となる考えを探し続ける旅を始めなければならないので、
強制的に思考停止状態を作り出していました。これは、笑顔で思考停止居続けたため、仕事中に頭を使うことができず、やめたり、
しかし、釘を外すと今度はまた、自意識が定まらないと不安定になると、再び「感謝」で思考停止にしたりしています。

また、ある時は「自分は他人を攻撃し、自分を破滅に追いやる人間だ」と、自己認識の楔を打ち付けて、自分をつなぎとめていた時期もありました。
「自分は何もしないと堕落していく人間だ。自分は下りエスカレータに乗っている。だから、常に上へ上へ歩き続けて行かねばならない
」と自分を鼓舞し続けていた時期もありました。これは、自分に無理を課し、さらに他人に対しても他罰的態度をとっていたので、これは
デメリットが多くてやめました。

このように、常に「こう考えればうまくいくはずだ」「今度こそこの考えでずっとやっていくぞ」
と決意しては、大体3日後にはその覚悟は失われ、また別の自分にとって都合の好さそうな主義・自己イメージを探す旅に出てしまいます。

そんなことばかり頭の中でやっているので、仕事も全然覚えません。

ちなみに、自意識の楔を打たなくなると、とたんに周囲の人や物に影響されやすくなってしまいます。
自分がたまたま見た人になったかのように演じてみたり、上司が機嫌悪そうにしていると、ビクビクしたり、周りが楽しそうにしていると自分もなんだか楽しい気分になったりと、感情が周囲によって変化してしまう。
そんな感じで、周囲に振り回されると、また再び自意識の楔を探してしまう。

始めた仕事がやりたくなくて、1か月余りで退職し、ニートになった頃、とある本を読んで「幸せだなー、ついてるなー、恵まれてるなー、感謝だなー」とつぶやきながら、河原を散歩していました。
その時は、自分は今後どうなってしまうのだろうかという不安や絶望感、孤立感などの一切を「幸せだなあ」という言葉で蓋をしていたのです。その翌日に私は自殺未遂をしたのです。
苦しいときには、苦しいという気持ちを感じないと、大変なことになります。
しかし、かといって、自分の感情を中心に据えると、働きたくない、逃げたい、何もしたくないといった方向に向かっていき、
これが自分の本当の姿だと思ってしまうのです。

先日、とある自助会で仲間が語ってくれた言葉が不思議と心を落ち着かせてくれました。
「友達もいないし、友達を欲しいと思った事も特にありません。人と関わるのが嫌で苦手です。
独りでいいと思ってきた。しかし、自助会に出て少しずつ人との関わりが出てきて、意味があるように思えるようになった。
関わり方はまだ分からないが、無理せず、自然にやっていきたい」

私は、この言葉に不思議な落ち着きとやすらぎを与えてくれました。
なぜか。そもそも、なぜ私は自意識の楔を打ち付けずにはいられないのかという問いのか。
それは、楔で打ち付けていないと、何もする気がないからです。
何かで自分を規定していないと、自分は活動できない。
なぜなら、私は本質的に生きることに意味を感じていないからです。
自分自身に無関心なのです。
しかし、死ぬのが怖いから死ねずに生きている。
一方で、他人には自分に関心を向け続けてほしいと思っている。
注目してほしい、ちやほやされたい。
しかし、これも私が本当に願っていることではない。
ちやほやされたときの興奮に嗜癖しているだけです。

いずれにせよ、何もしたくなくて、ちやほやされたいというのは、思考停止したいということに他なりません。
何もしたくない。誰かにしてほしい。甘えているのです。
これが私の精神構造です。

これでは、社会で暮す上では大変困ったことです。
この困りごとに対して、良い知恵をお借りしたいです。

助けてほしいと助けは要らないの間でぐるぐる回っている障害

「助けてください」と言えた時、人は自立しているという安富歩先生の言葉を見つめました。
そこで、助けてほしいことがあります。

私はこう考えればうまくいくんじゃないかということばかりを考えています。

私は女性性を持っている。
私の精神年齢は中学二年生。
私は自分が好き。
私は自閉症スペクトラム
私は空気が読めない。
美しい心を持った人であり続けたい。
みんなひとりひとりの人権が保障される
人が人を変な目で見るようなことがない世の中になりますように。
その視線で、生きづらさを感じたり、自分を押し込んだりすることがありませんように。

昨日の午前中は、
世の中は無価値だ。意味はない。
だから、捨て鉢になることも、楽しもうとするのも特に意味はない。
私は楽しもうと思うが、それは私は捨て鉢になることが趣味ではないということだけに過ぎない。

コロコロと変わっていきます。
自分自身の拠り所を、あれこれ一生懸命探しています。
これがいつまでたっても解決しません。
困っています。
何か、いい方法はありませんか?

「助けて下さい」と人に言わずに済むためにはどうすればいいのかということを考えて来たとも言えなくはないと思います。
頑張って自立の拒否をしているように思います。
成熟拒否をしているように思います。
けれど、それは、ある種の合理性を持っているとも思います。
成熟しようとするほど、精神が病んでしまう。だから、成熟を回避しているとも思います。
よっぽどの外圧がない限り、この現状は変えられないのだとも思います。
本気で変えたくないから、変わらないのかもしれません。

だから、困っているようで実はそれほど困っていない事なのかもしれません。
本当は、助けてほしくないのかもしれません。
助けて下さいと助けを求めたら、きっと地獄のようなつらいことが始まるのかもしれないから。

だから、自分の頭の中でなんとかかんとか自己完結を目指そうとしているのかもしれません。

そういう精神構造だから、それを障害と呼んでもいいのかもしれません。
少なくとも、私は障害者であると公言した方が生きやすい。

成熟を拒否して、障害者として生きるから、みんな分かってねというやりかたは、
でも、本当に私が望んでいることではないような気もします。
だから、困っています。
私は、どっちなのか。
助けてほしいのか、助けてほしくないのかの間でぐるぐるぐるぐる回っています。

それが私の見えない障害です。

 成熟を拒否しているというわけではなく、成熟を試みても、うまくいかない障害を抱えているというわけだとも思います。

成熟を自ら拒否している部分もあると思うし、成熟が障害によって妨げられているという部分もあると思う。自ら拒否していることに罪悪感や焦燥感を感じ、もっと頑張らなくてはともがくほど、障害の壁とぶつかり、乗り越えられない。かと言って、成熟を諦めてしまおうと開き直ると、それはそれで空しくなることもある。

ずっとその間で悩んできました。でも、人には説明できなかったこの苦しみを。