本日も順調に誤作動中

ASD.1980年生まれ東京都在住。

見えない障害がつらいのは、自分が何者であるかを語る言葉がないことによって、人と繋がることができないということである。語る言語がないので、つらいということを言語以外のコミュニケーション手段によって伝えることしかできない。それは受け手である相手にとってもつらいし、しんどいのである。

今日は、読書会に参加してきた。
これも発達障害の回復によいとされているので4月から継続している。
発達障害者にとっての読書会の効能に関しては、岩本友規著「発達障害の自分の育て方」に詳しい。

今日は、発達障害関連の本を紹介させていただいた。
澤登雅一著「その『不調』、あなたの好きな食べ物が原因だった?[遅発型フードアレルギー]」

私はこの本の著者澤登先生がやっていらっしゃる3番町ごきげんクリニックに行き、リーキーガット症候群の検査
を受けた。
その結果、自分は典型的なリーキーガットだということが分かった。

そして、リーキーガットと診断されたこと、そして、発達障害の検査「WAIS」を受検し、発達障害の特徴を持ち合
わせているということが分かり、最近ようやく自分が見えない障害の当事者であるということを受け入れ始めた。

2月に自閉症スペクトラムと診断されたときは、問診だけであったし、セカンドオピニオンに診断を仰いだところ、
判断を保留にされていた。そのため、自分が見えない障害者を自称することはなんとなく憚られた。
自分が障害者であると認めるのは、甘えではないかとか。

しかし、リーキーガットがかなり重症であったということが分かったことは自分にとって大きかった。
自分は堂々と長年、見えない障害と戦ってきてきたサバイバーだったのだと。
やはり、自分の生きづらいという勘は正しかったのだということを証明してもらえたようで、ほっとした。
この結果を見て、今までかなり体に負担をかけて来たんだなと言うことが、客観的に見えるようになったというの
がうれしいのだ。
今日の読書会では、本と一緒に自分の検査結果を紹介させていただいた。

見えない障害が見える化された。
それは、自分にとってとても大きい。
ひょっとすると、大学の合格証書よりも嬉しいものかもしれない。
だって、自分の「つらい」は、他人にはわかってもらえないものだと思っていたから。
もちろん、検査結果一枚で自分のつらさをすべて分かってもらえたとは思わない。
しかし、それでもいいのだ。

原因不明の生きづらさ。正体不明の生きづらさ。
精神科医にはきっとこの生きづらさはわかるはずだと、
何人もの精神科医にも見てもらったが、診断名はつけてもらえなかった。
生きづらいと思う自分がおかしいのだ。生きづらいのはみんな同じなんだから、生きづらいなんて思ってはいけな
いと何度も何度も自分のつらさに蓋をしようとしてきた。我慢をしてきた。
しかし、頑張ろうと、人の役に立とうと、社会のためによいことをしようと思うのに、それとは裏腹のことをしてしま
う自分、どうしても長続きしない自分がいた。
だから、自分は悪人なのだと開き直ったこともあった。
引きこもったし、社会に適応できないことに絶望し、自殺未遂もしたこともある。

しかし、岩本友規「発達障害の自分の育て方」を読み、
K先生と出会い、自閉症スペクトラムと診断され、そこから少しずつ変わってきた。
吉濱ツトム著「隠れアスペルガーという才能」を読んで、
吉濱さんのセッションを予約し、三番町ごきげんクリニックでリーキーガットと診断され、運命が変わってきた。

一対一のコミュニケーションや、大勢の人前で教えたり、話をするのが得意な一方で、3人以上での男同士での
雑談がまったく何を話していいのか分からないことの理由が分かってきた。
ひとつのことにとことんのめり込む理由が分かってきた。
口頭で人にものを教えるのが得意な理由が分かってきた。

今まで、ばらばらだった出来事がようやく繋がってきた。
苦手なことを仕事でやる羽目になり、かなりストレスがかかった状態で長らくいたため、
身も心もだいぶボロボロになっていた。

今日のNHKスペシャルでもやっていたように、まずはストレスのあるところから避けること。
これが重要だ。
そのために、支援を求めることも大事だ。

読書会の帰り際、「食事制限頑張ってねー」と励まされた。
その時、「ああ、自分は障害者なんだよなー」と改めて思った。
これまで自分は読書会で、発達障害者だと言ってきた。だけど、発達障害を克服するために
具体的に何をするべきなのか、何に障害があるのかということが自分でも分からなかった。
ただ、漠然とした生きづらさを抱えている人だった。
でも、今はリーキーガット症候群の当事者である。
だから健康な人と比べて、厳しい食事制限しなければならない。

「食事制限頑張って」と言われて、
心から頑張ろうと思った。
ありがとう、頑張るよと素直に思った。

「食事制限頑張って」の一言は、相手が自分の障害のつらさを分かってくれた証だ。
今まで誰にも理解されないし、伝えることができなかった生きづらさの正体を、
言葉で数字で説明することができるようになった。
それが何よりうれしい。

食事制限されることになったとしても、自分の辛さが人に説明できるようになったこと、
自分がどういう障害を持っているのかということを人に説明できるようになった喜びのほうが
はるかに大きい。

自分は、人と違う。
今までずっとそう思ってきた。
けど、何が決定的に違うのか、それが言えなかった。伝えることができなかった。
自分は、普通以上に、言語での説明能力が高く、
人よりも、消化力が劣っていて、フードアレルギーを持っている。

そういうことが分かると、人とつながることができる。自分はこういう人間であるということで、
自分を紹介できる。
これまでは自分が何者であるかを語ることができなかった。
自己紹介をしていても、自分のことを説明しているとは到底実感が持てなかった。
自分は何歳でどこに住んでいて、こういう仕事をしていて・・・という言葉をいくら並べても、自分を理解してもらえ
ていないなと感じていた。

でも、今は自分をかたることができる。
自分はリーキーガットと発達障害でコミュニケーション能力に凸凹があると自己紹介ができる。
自分が何者であるかを語ることができることは、本当に嬉しい。