読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

本日も順調に誤作動中

ASD.1980年生まれ東京都在住。

生きづらさの謎解きの旅

僕はずっとなぜこんなに生きづらいのだろうということを考え続けて、いろんな仮説を立てて頑張ってみては失敗という繰り返しの日々だったように思います。
でも、最近、ぱあっと霧が晴れてきた感じがしてます。
それは、自分が発達障害だったってこと。
前頭葉のコントロールが弱く、感情に影響を受けやすく、主観が強く、社会性がなく、空気が読めない、明るく前向きな心を持っている、純粋なおバカっていう特徴があるってことが判ってきたって事。と同時に、両親も発達障害で、父は快・不快に敏感で、AS気質。1人が気楽、人と強調できない。予定や規則にこだわる。母は空気が読めない、天真爛漫な女の子ようなタイプ。失敗してもぜんぜん気にしないタイプということが分かってきて、なあんだみんな障害持っていたんだと分かったこと。
両親にいろいろ話してみたら、みんな社会で嫌な思いを味わったりしていたということを知って、なおさら親近感が沸いた。
だって、発達障害で空気が読めない僕らは、社会の健常者といたって、嫌なことを経験しないわけないもんなと思った。

僕は、今まで、親を恨んでました。でも、今振り返ると、それは、「社会が正しくて、うちの家庭が病んでいる、狂っている」という認識に支配されていたからです。
機能不全家庭という言葉がありますが、僕はその言葉と出会って、徐々に自分は機能不全家庭に育った、虐待を受けて育った被害者なんだという思いを強くしていきます。
今振り返ると、これも僕の発達障害の特徴、「空気が読めない、こだわりが強い」というものの現われだったんだと思います。
みんなが「違うんじゃない」と言っても、「お前は何も分かってない!」と逆上してました。
でも、機能不全家庭という言葉を聴いた瞬間は、大変興奮したことを今でも覚えています。これが俺の生きづらさの正体だったのか!と霧が晴れたような爽快感。
そこで、さまざまな自助グループに行って、「仲間」と出会いました。
でも、結果的には、仲間の中にいるのがしんどくなっていきました。仲間の1人が自分は発達障害だという人がいて、「ひょっとしたら自分は発達障害かもしれない」と思い、病院へ行きました。そこで、これまでの経緯を話したら、「自閉症スペクトラム」という診断をもらったのです。

約4年間ほど自助グループに行っていましたが、全盛期は、自分はアルコール依存症ギャンブル依存症だと信じていました。本来、依存症者は、本人は「絶対に自分は違う」と否認するはずなので、僕のように自分から私は依存症者ですと最初から認めること自体がそもそも依存症者でないことの証でもあるわけですが、「自分は何者か?」という問いをいつも不安を抱えながら生きてきた自分にとっては、たとえそれが、依存症という病名であったとしても、自分が何者であるかという答えに安心を得たくて、その病名にしがみついたのです。
この自己分析の妄想の暴走っぷりは、今思うと、我ながら笑えてしまいます。

僕を診断してくれた医師は、
「君は、幼いわが子を失った人たちが集まる会に出て行って、『自分は子どもを失ったことがないんですけど、つらさは共感できます』と発言するようなことをずっとしてきたんだよ。そんなことしたら、ボコボコにされてるよ普通」と言われて、ショックを受けました。
「君が依存症者の当事者会に行って、話してるときに『こいつは依存症者でもないのに話しているよ。さっさと出て行ってくれないかな』と思っていた人はたくさんいたと思うよ。」と言われたのもなかなかショックでした。

でも、これって治らない。だから、もう笑うしかない。当時の自分は大真面目に死にたい死にたいと思っていました。でも、振り返ると、誰も責めていない。衣食住もある。家族もいる。ただ、本人だけが、孤独だ、空しい、もっと頑張らなくてはいけないと思い込んでいたのです。お疲れ様でしたと言いたい。

でも、そう思えるようになったのも、その時に自分なりに必死にやってきたからだと思う。今、社会性はまったくないけど、肩書きとしては会社員をしていて、生活をしている。
そういう立場があるからこそ、今のような立場に立ってものが見られるのだと思う。

生きる意味がないとか、絶対に会社で働きたくなんかないと思っていた自分が、今、会社に一応行って、仕事をしているわけです。自分の中では、敗北、挫折、生き地獄でしなかった。けど、そう思わないように、振り落とされないように、見捨てられないようにと、読めない上司の心情を勝手に汲み取り、勝手にハードルを上げ、勝手に燃え尽きるということをやってきてました。

もう、ほんとに無駄な努力をいっぱいしてきました。
で、それがとうとう力尽きたときに、余計な力がふっと抜けたんですね。
あ、世の中って自分が思っているほど、地獄ではない。もっともっと仕事ができないと、休日も仕事のことを考えていないと、クビになって、捨てられて、路頭にさまよい、生きていけなくなると思っていたけど、意外とそうではないんだってことが最近分かって来た。

いつも、見捨てられ不安に苛まれてきた。いつも、なにかを頑張っていないといけない。ありのままではいけないと思ってびくびくしながら生きてきました。それは、父が怖かったというのが根本にあったのですが、その「父が怖い」という認知も、よくよく父から話を聞いてみると、どうやら僕の勝手な妄想によるものだったみたいだし、父はそもそも孤独好きという脳構造のため、あまり子どもに積極的にかかわることはしなかっただけのことだということが分かってきました。

僕はずっと父から話しかけてもらえなかったと思っていました。
無視されていると恨んだり、認めてもらえてないんだと恐怖したり、混乱したりしてました。
でも、それも脳が作り出した思い込み。それに、父の脳構造によるもので、別に父が子どもを意図的に無視しようとしたわけでもなかったわけだと言うことが分かりました。

アルコールや薬物等の依存症は、「本人の意志が弱いからそうなる。自業自得だ」という見られ方をするのが一般的でした。
しかし、今では依存症への見方は変わってきている。
薬物依存の再犯率は、厳罰化しても一向に減らない。なぜなら、
彼らは意志が弱いのではなく、依存症はそもそも脳の病気であるのだから。薬物を欲する脳に身体がジャックされてしまうと、本人の意思とは無関係に薬物に手を出してしまう。
だから、薬物依存症者へは、厳罰ではなく、治療というのが世界の流れ。

同じように、発達障害者は、前頭葉によるコントロールが弱く、
社会性も低い。そのため、他者とのコミュニケーションがうまくできない。
例えば、A子ちゃんが「私またダイエットに失敗しちゃったの・・・」と言ったとき、健常者のB子ちゃんは「そうなの。次はきっと上手くいくわよ」と声をかけるが、アスペルガーのC子ちゃんは「また失敗したのだから、次も失敗するよ」と言う。
A子ちゃんは途端に機嫌が悪くなるが、C子ちゃんはなぜ機嫌が悪くなったのかが分からず、A子ちゃんは怒りっぽ子だと思う。
A子ちゃんは、ダイエットに失敗したことを誰かに慰めて欲しかっただけなのに、C子ちゃんはその言葉の裏に隠されているメッセージが分からない。C子ちゃんは、A子ちゃんの言葉をそのまま捉えて、そこから導かれる事実を伝えてあげたかっただけ。
きっと、A子ちゃんはB子ちゃんに、後でC子ちゃんとは仲良くならないようにしよう・・・などと話をして、C子ちゃんは仲間はずれにされてしまうかもしれない。

でも、A子ちゃんに発達障害の知識があったらどうだろう。
C子ちゃんに発達障害の知識があったらどうだろう。
C子ちゃんには、言葉をそのまま解釈しちゃう特徴があると言うことを知っていたら、C子ちゃんとの中も険悪にはならずに済むんじゃないかと思う。

人と人との誤解や争いには、互いの無知がもたらしたものが多いと思う。
そして自分の不幸も、無知が原因であったことが分かって来た。
あの時のつらい経験は、実は障害が原因だったんだってわかったら、霧は晴れてきて、生きるのが楽しく思えてくる。

発達障害の人の本を読んでいると、「これ、そうそう!じぶんのことだ」と思うことがある。
そんなことを考えながら町を歩いていると、今までの謎が解けてきたような、ばらばらだった事実が一つに繋がってくる感覚になる。