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本日も順調に誤作動中

ASD.1980年生まれ東京都在住。

まわりまわってまた同じところに戻って来て、「じゃあ初めから辞めなきゃよかったじゃん!」と突っ込まれることについて

父にリーキーガットであることを話した時、「だから卵を大量に食べるなんておかしいと言っただろ」と

言われた。
結果が出るまでに私が知っていたのは、
発達障害は糖質がよくない。
・卵は唯一の完全食と言われ、栄養がある。
・卵はコレステロールが高いので、一日一個を目安にと言われていた。しかしそれは嘘で、卵は一日何個も食
べてよい。
という知識だった。
そのため、卵を毎朝4個、玉子焼きで食べていたのを、以前に家族で食事をしたときに話したことがある。
そして、私はその時、卵を食べていると調子が良いと感じるとさえ言っていた。

しかし、今回の検査の結果で卵の遅発性アレルギー反応はMAXだった。

乳製品はよくないというのは、なんとなく感じていた(というか、牛乳を飲んでも自分の体に効いているという実
感があまり感じられなかった)。卵は意外だった。
こんな風に、自分が良かれと思って食べて来たものが仇(あだ)となることが少なくない。
リーキーガットでなくても、日本人は卵と乳製品に遅発性アレルギーが出やすいとのこと。

それにしても、遅発性アレルギーというのは目に見えないだけに厄介だ。
即発性アレルギーであれば、食べた瞬間に発作が起きてしまうめ、「これが悪さをしている犯人だ」と特定しや
すい。しかし、遅発性アレルギーは、そうはいかない。
食後、数時間後から数日後に、ようやくその反応があらわれる。
しかも、あらわれ方は実にさまざまだ。
便秘、下痢、鼻水、眠気、不眠、倦怠感、うつ症状、疲れやすい、気分が落ち着かないなどなど。
卵を4個食べていた頃は、便秘、下痢や不眠はなかったし、鼻水はもともとだし、疲れは仕事が原因だと思って
いた。

卵を食べる前と後で、何が変わったのかもまだはっきりとわからないけど、精神的な部分、情緒的な部分かもし
れない。

さて、私がリーキーガットの検査を受ける前に卵について持っていた知識は3つだった(数え方にもよるが)。
そして、今回の検査結果で
・私は卵に対して遅発性アレルギーを持っている
という知識である。
その結果、私は卵は食べない方がよいという結論に至り、卵を食べない食生活にシフトすることになった。

この結果だけ見れば、実に元も子もないことだ。

例えば、「卵はよくないらしい」という風のうわさを信じて、卵をほとんど食べない人は結構いると思う。
結果だけを見れば、そういう人と同じ行動を選択しているという点は同じだ。
しかし、私は結果よりもプロセスが大事だと思っている。

父は「やっぱり卵はそんなに食べるなだと言っただろ」と言い、「だからなんでもバランスよく食べりゃいいんだ。
それが一番なんだ。当たり前だろ」ということを言った。
私は、父の言う当たり前の結論に至ったわけであるが、遅きに失したとは思わない。
バランスよく食べるということの意味の解像度が、以前よりもはるかに高まったからだ。
なぜ自分はバランスよく食べなければいけないのかという根拠が、今は明確だ。
何も知らなかった自分は、「なんとなくみんながそう言っているから、バランスよく食べている」
「なんとなくみんながそうしているから、卵は控えている」という表現でしか説明することができなかっただろう。
今は、違う。
人から「最初から卵食べなきゃよかっただけだろ!」と突っ込まれたとしても、「そうだね」と言ってさらっと笑顔で流したい。確かにその通りであるからである。
しかし、自分は知りたかった。
巷では、卵がよくない、卵は一日何個も食べてよい、牛乳は身体にいい、牛乳は身体に悪い・・・
真反対のことが実しやかに言われている。
じゃあ、俺にとって、卵や牛乳はいいの悪いの?もっと言えば、どの食材が自分にはよくて、どの食材がダメなの?ということをはっきりさせたかった。
もう、噂に振り回されて、食べたり、食べなかったりを繰り返して、自分の感覚で、「この食材は身体にいいな、わるいな」といちいち判定するなどやってられないし。
まして、遅発性アレルギーでは、自分の感覚すら頼りにならない。なぜなら、食べてから影響がでるのが数時間から数日後だというのだから。もはや因果関係の特定は自分だけでは不可能だ。
それにしても、そんな検査が存在する事すら自分は知らなかった。
知ることができたのは、一冊の本のおかげである。
吉濱ツトム「隠れアスペルガーという才能」
吉濱さんのセッションを受けるにあたり、リーキーガット検査を受けられるクリニックをご紹介いただいた。

アスペルガーである自分は、知識の収集欲が強い。アスペルガーに興味を持っていた自分がその本を手にしたのは、ある意味必然だったかもしれない。

そして、セッションを通じて、自分は教えることが向いているということが改めて分かった。
今まで、何度も教える仕事に携わってきたが、自分は教える仕事が嫌いだった。
誰に対しても否定的で、
攻撃的だった。教える人間が嫌いだったりもした。だから、教えることが向いている自分を受け入れたくなかったのだ。感情が不安定。若さもあっただろうし、リーキーガットの影響もあったと思う。

しかし、また再び教える仕事の方にシフトしていこうと思う。
やはり、教えることが天職みたいだし。
教える仕事に就こうと思うのは、これで通算6回目かもしれない(数え方にもよるが)。
「じゃあ、最初から教える仕事やっていればよかったじゃん。もったいない」と言われても仕方ないだろう。
でも実際に、僕はそう言われたら、笑って「その通りだね」とさらっと受け応えたい。
最初から、ずっと教える仕事に就き続けていることができたとは思わない。
きっとどこかで生きづらさの問題に直面していただろうと思う。
教える世界という世界以外の世界も知っておきたかった。
これも必然だったのだと思う。
随分遠回りしたように思うが、そうしたことがあって今がある。それが自分だと思う。
その時その時で、一生懸命にやってきたと思う。
一生懸命、俗世間からドロップアウトしたりもしたし、一生懸命社会に適応しようとしたりもした。
健常者は、無駄な努力と評価なんかしてくれないかもしれないけど。
頭も心も身体も狂わせる症状を抱えながらやってきたんだから、よくぞここまで来ることができたと思う。
自分の感覚すらどれを信じてよいのか分からない状態で、まともな選択をすることが困難な状況の中、
よくやってきたと思う。
出口の見えない暗闇の中、わずかな光を頼りに進んできた。
やっと人生のスタートラインに立ちつつある。