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本日も順調に誤作動中

ASD.1980年生まれ東京都在住。

助けてほしいと助けは要らないの間でぐるぐる回っている障害

「助けてください」と言えた時、人は自立しているという安富歩先生の言葉を見つめました。
そこで、助けてほしいことがあります。

私はこう考えればうまくいくんじゃないかということばかりを考えています。

私は女性性を持っている。
私の精神年齢は中学二年生。
私は自分が好き。
私は自閉症スペクトラム
私は空気が読めない。
美しい心を持った人であり続けたい。
みんなひとりひとりの人権が保障される
人が人を変な目で見るようなことがない世の中になりますように。
その視線で、生きづらさを感じたり、自分を押し込んだりすることがありませんように。

昨日の午前中は、
世の中は無価値だ。意味はない。
だから、捨て鉢になることも、楽しもうとするのも特に意味はない。
私は楽しもうと思うが、それは私は捨て鉢になることが趣味ではないということだけに過ぎない。

コロコロと変わっていきます。
自分自身の拠り所を、あれこれ一生懸命探しています。
これがいつまでたっても解決しません。
困っています。
何か、いい方法はありませんか?

「助けて下さい」と人に言わずに済むためにはどうすればいいのかということを考えて来たとも言えなくはないと思います。
頑張って自立の拒否をしているように思います。
成熟拒否をしているように思います。
けれど、それは、ある種の合理性を持っているとも思います。
成熟しようとするほど、精神が病んでしまう。だから、成熟を回避しているとも思います。
よっぽどの外圧がない限り、この現状は変えられないのだとも思います。
本気で変えたくないから、変わらないのかもしれません。

だから、困っているようで実はそれほど困っていない事なのかもしれません。
本当は、助けてほしくないのかもしれません。
助けて下さいと助けを求めたら、きっと地獄のようなつらいことが始まるのかもしれないから。

だから、自分の頭の中でなんとかかんとか自己完結を目指そうとしているのかもしれません。

そういう精神構造だから、それを障害と呼んでもいいのかもしれません。
少なくとも、私は障害者であると公言した方が生きやすい。

成熟を拒否して、障害者として生きるから、みんな分かってねというやりかたは、
でも、本当に私が望んでいることではないような気もします。
だから、困っています。
私は、どっちなのか。
助けてほしいのか、助けてほしくないのかの間でぐるぐるぐるぐる回っています。

それが私の見えない障害です。

 成熟を拒否しているというわけではなく、成熟を試みても、うまくいかない障害を抱えているというわけだとも思います。

成熟を自ら拒否している部分もあると思うし、成熟が障害によって妨げられているという部分もあると思う。自ら拒否していることに罪悪感や焦燥感を感じ、もっと頑張らなくてはともがくほど、障害の壁とぶつかり、乗り越えられない。かと言って、成熟を諦めてしまおうと開き直ると、それはそれで空しくなることもある。

ずっとその間で悩んできました。でも、人には説明できなかったこの苦しみを。