本日も順調に誤作動中

ASD.1980年生まれ東京都在住。

適理―脳機能に逆らわない生き方

私は自分が大好きなナルシストです。


これまで、そうした自分が大嫌いで、
なんとか自分を変えようとあがいてきました。
しかし、発達障害が分かり、それが脳の機能障害であることが判りました。
自分のことばかりを考えてしまうのも、脳の機能障害の問題なのだと思います。
脳の構造が自分のことばかり考えてしまう構造であるのであれば、
それに無理にあらがおうとするのは得策ではないのではないかと思います。
まずは、自分がナルシストであることを受け入れることから、始まるのだと思います。
(ここで言うナルシストとは、自分のことに意識が向いてしまうことを指します)

自分に意識が向いてしまうのであれば、脳の構造に逆らわず、
その構造の流れに乗ってしまおうというのが、今の私の考え方です。

例えば、自分に意識が向くことを利用して、自分の健康に意識を向けてみることなら得意です。
自分の生きづらさの問題(自分はなぜ生きづらいのか?)から出発して、
自分が健康に快適に過ごしていくためにはどうすればいいのか?ということを掘り下げて考えて、いろいろな仮説を立てては試すの繰り返しをしてきました。
その長い長い過程の中で、発達障害自閉症スペクトラム)であることが判り、克服のためには、
食事や運動や生活習慣を変えていくことが重要であることが分かってきました。

今、こうしてブログを始めたのも、自分の障害克服のための一環です。
第三者に自分の思っていることや感じていることを伝えていくことで、自分の意識の内側に入り込んで、孤立や、無感情の状態を深めることを予防し、また、他者の存在を想定して文章を書くことで、使っていない脳の回路を活性化させる働きがあるという仮説の下に行っています。
読者であるあなたに読んでもらうことを見越して、自分のことを書いていきます。

私は、先日、「WAIS3」という発達障害の診断テストを受診しました。その結果、固着傾向が強く、狭い範囲の分野を深く突き詰めるのが向いているタイプだと医師に診断されました。
確かに振り返ると、自分は自分のことを徹底的に深く掘り下げて突き詰めてきたように思います。
そして、診断を受けた今、さらに意識的に積極的に深く掘り下げてみたいと思っています。
私は、自分のことに限らず、あることを深く突き詰めていくと、どんどん他の人と交わらなくなってしまうどころか、むしろ、深く掘り下げた先にこそ、より深いレベルで他者と繋がれるのだと思っています。

例えば、一流のスポーツ選手と一流の学者同士が初対面で対談すると、ずっと前から知り合いであったかのように意気投合するといったことは少なくありません。
何でもよいから、その道を徹底的に掘り下げると、きっとその先に、深いレベルで他者と繋がれると私は信じています。

今までは、ナルシストである限りは人に嫌われるだけだから、何とかナルシストでなくそうと努力をしてきたこともありました。そしてそれがうまくいかず、俺は人間となんか繋がりたくないんだと嘯いて、引きこもったりもしたりもしました。
しかし、今は自分の脳の構造を変えることは自分にはできないことを受け入れました。
であれば、「自分のナルシストの頭をフルに使って、徹底的に自分自身を掘り下げてみようじゃないか」という発想に変えました。

自分のことに意識を向けてると、呼吸をはじめ、食事や運動や生活習慣や対人関係、といった様々なことで自分はまだまだ意識を向ける対象があるなということに気づきました。

そして、これらは深く掘り下げていけばいくほど、他の人も実は気になっていることであったりもするわけです。そうすると、自分を掘り下げていく中で得た知識や経験が誰かの役に立つことだってあるかもしれません。


人は、自分が気になるものをどんどん掘り下げていけばいいと思っています。
それがどれだけ世間的に、おかしいものであったとしても。
自分は、世間体を気にして、今まで自分は自分のことにしか意識が向かない自分をずっと拒否し続けてきました。
「ブログで自分のことばかりを書くやつは、ナルシストだ」といった批判を恐れて、自分についてを書くことから逃げてきました。
しかし、世間がどうあれ、自分は自分です。自分の脳みそは自分に意識が向いてしまう、そういう障害を持った人間で、その障害は自分の力では変えようがない。
自分の脳の構造の流れに逆らわず、脳の構造を受け入れて、その道理に適った生き方をしようではありませんか。
合理という言葉よりも、私は理に適っているという意味で、「適理」という造語を考えました。
脳機能の構造に適った生き方、脳機能中心主義。それがストレスの少ない、楽しく周りを結果的に幸せにする生き方ではないかと思っています。
人に嫌われるナルシストを徹底的に突き詰めると、人を幸せにすることができる。この仮説を私は信じていて、それを証明するために日々を送ろうと思います。